天文十八年(1549)、川越城主、大道寺駿河守政繁の母君、蓮 馨大姉は、民衆の心の安らぎの場として、当山を創建しました。開 山は感誉存貞上人で、のち大本山増上寺第十世に登られた方でした。 徳川時代には、関東における“十八檀林”の一つに列せられ、幕府 公認の僧侶養成機関となり、多くの学僧を育てました。 呑龍堂に祀られる呑龍上人(1556〜1623)は、各地を巡っ ては困窮する多くの人々を救い、まずしい家の子供達を寺に預かっ ては、勉学の機会を与え、諸々の相談事をうけては解決していった という、正に生きた仏として崇められた方でした。社会事業の先駆 者であり、今日でも、霊験あらたかな仏様として、祀られています。 又、新設の講堂は、全ゆる催事に広く活用され、集いの場としてご 利用頂いております。地域の祈願所、心安らぐ集いの場として、当 山は多くの方々に親しまれ、今日に至っています。 |